エデン・アザール ~ベルギーが生んだ最高傑作~
第十五回
エデン・アザール
1991/1/7 ベルギー(代表キャップ36試合・5得点)
170cm 71kg
チェルシーFC所属
リーグ・アン年間最優秀若手選手賞 2008-09, 2009-10
リーグ・アンベストイレブン 2009-10, 2010-11
リーグ・アン年間最優秀選手賞 2010-11, 2011-12
ブラヴォー賞 2011
PFA年間ベストイレブン 2012-13
第十五回はエデン・アザールを紹介。
「既にブレイクし過ぎだろ」とのお叱りの声が聞こえてきそうだが、
それも甘んじて受けたいと思う。
そう、現代サッカーを語る上で、絶対に欠かせない選手なのだ。
有望な若手選手が台頭し続ける欧州サッカー界において、
ベガやシリウスのような一等星的輝きを持つのが彼アザールだ。
21歳で既にベルギー代表のエースであり、
所属したリーグ・アンのリール、
チェルシーどちらでも欠かすことの出来ない選手になっている。
アザールは4歳か5歳の頃に自然とサッカーを始めたと父ティエリは語る。
彼のキャリアは、
ベルギーのAFCデュビズというクラブの下部組織でスタートする。
歴史は浅いが、育成に関しては割と力を入れているクラブである。
しかし、育成した選手を留めておけず、
戦力を毎年維持するのが厳しいクラブだ。
実はアンデルレヒトのトレセンをずば抜けた成績で合格していたが、
彼は地元のこのクラブ(=デュビズ)を選択した。
アザールは14歳になると、
更に上のレベルで修行を積む為、単身フランスへ渡る。
リーグ・アンの名門リール・オランピック・スポルティング・クラブ・リール・メトロポールだ。
長い名前だが、日本ではリールといえばこのクラブだ。
フランスでは、個人の技術やスピードといった、
一芸に秀でた選手を高く評価し、
身長や体躯等のフィジカル的な問題を抱えても使ってもらえる。
アザールがフランスを選んだのは英断だった。
アザールは天才的なサッカーセンスでメキメキと頭角を現し、
2007年11月25日のASナンシー戦、
弱冠16歳でトップチームデビューを果たす。
その年は途中出場で4試合を経験する。
そこから一年、フィジカル的な課題克服の為トレーニングを積み、
翌2008-09シーズンに大活躍し、旋風を巻き起こす。
出場機会は大幅に増え、30試合に出場し4得点。
その年に、ベルギー人として初めてリーグ・アンの最優秀若手選手賞を受賞した。
2009-10シーズンも続けて最優秀若手選手賞を受賞し、
史上初の2度の戴冠となった。
フル稼働に近い37試合5得点。忘れないで欲しいのはこれで高校生なのだ。
その翌年は38試合7得点。歳を重ねるごとに成績は伸びていく。
クラブ側も日進月歩で成長するこの若者を育てるのが楽しくて仕方なかっただろう。
そして2011-2012、リールでの集大成とも言える、
「限界突破」のシーズンが訪れる。
学業から解き放たれ、サッカーのみに打ち込めるようになったアザールは、
まさに誰にも止められなくなった。
ほぼ全て試合でMOMの活躍で、ゴールもアシストも量産。
出場38試合にして、ゴール20、アシスト18。
繰り返すが、これがまだ10代の選手だ。
それまで長い沈黙を続け、
久しく優勝を掴めずにいたリールは、念願の栄光を手にし、
アザールは英雄となった。
そして、来るべくして来た。
彼がついに掴んだ3大リーグの舞台への挑戦切符が。
チェルシーFCからの熱烈なオファーだった。
20歳の選手に対し、移籍金の提示額・・・3200万ポンド!
日本円にして、実に40億円。
アブラモビッチオーナーになってから金銭感覚が狂ってしまっているサポーターですら、
口をあんぐり開けてしまう金額だった。
移籍直前まで、ロンドンの民衆は開いた口で議論を繰り返し、
その移籍に関して賛否両論の持論を展開し続けた。
しかし、シーズン開幕が近づくにつれ、
アザールへのそういった声は「期待」へと収束され、集約されていく。
開幕するや否や、
体の小ささを感じさせない、存在感の大きなプレーを見せつけたアザールに、
本場イングランドは度肝を抜かれる。
ダメな試合はとことん単調になるチェルシーの試合は、彼により激変した。
アザールにボールが渡ると何かが起きた。
アクセントとしても、サプライズとしても。
ゴールへの意識も非常に高く、
サポーターは彼のプレーに日に日に魅了されていった。
ところが1/23のフットボールリーグカップの対スフォンジー戦で、事件は起こる。
アザールはボール処理にもたつくボールボーイを蹴る暴挙を働いて退場処分を受ける。
追加制裁は3試合の出場停止。
その間、メディアではアザールに対し激しいバッシングが繰り返され、
子供達にとって「夢」そのものだったアザールの名誉は急降下した。
そして復帰したスタンフォード・ブリッジでは、
アザールは生涯で初めて、 ホームのサポーターからブーイングを受けた。
アザールは深く反省し、精神的な未熟さを見つめなおした。
幼い息子ジャンニスを持つ1人の父親として、
あるいは真のフットボーラーとして、
この出来事が、結果的に、
アザールにとって精神的な弱さとも決別するきっかけとなった。
↑左側腹部(前鋸筋付近)のタトゥーは日本語カナでジャンニス。
ナターシャ夫人との間に生まれた愛息子の名だ。
海外では日本語のタトゥー(主に漢字)が「COOL」だとされ大人気だ。
-------------
アザールという選手の特長は、まさにその類まれなサッカーセンスだ。
攻撃に関しては、ドリブル、シュート、パス、その全てがパーフェクトで、
ダイナミズムに溢れた姿は、ピッチ上で存在感抜群だ。
ゴールパフォーマンスも人気で、
王道のガッツポーズながら、
精悍な顔つきと彼のカリスマ性からか、
その「画になるっぷり」はずば抜けている。
彼は幼い頃からジネディーヌ・ジダンに非常に強い憧れを抱いており、
「彼に認めて貰う為なら何でもやる」と言った言葉は決して嘘ではない。
実際、レアルの要職に籍を置くジダンも、
アザールの存在は常に意識するようになったと話している。
こういった言葉もアザールのモチベーションを更に燃え上がらせた。
ゆえに、大舞台になればなるほどアザールは輝きを増すのだ。
早熟ながら、更に成長を続けるアザールには、
もはや「末恐ろしい」という言葉が浮かんでは離れない。
このままいけば数年後のバロンドール、
というのも決して言い過ぎではないだろう。
少なくとも、チェルシーが支払った40億円を、
「高すぎだ」という声は数年後には完全に払拭されている筈だ。
--------------
そしてベルギーという国のA代表について、
第12回で紹介したマルアン・フェライニが背負う11番、
そして今回紹介したエデン・アザールが背負う10番、
この2人は是非ともチェックして頂きたい。
新鋭勢力の中では、間違いなく世界最強のコンビだろう。
2人の他にもベルギー代表には凄まじいポテンシャルを持った選手達がいる。
追って紹介することになるが、
彼ら一人一人の持っているものが素晴らしいだけに実に楽しみなナショナルチームだ。
■エデン・アザール
スピード |★★★★★★★★☆☆ 8
持久力 |★★★★★★★★★☆ 9
フィジカル |★★★★★★★★☆☆ 8
得点力 |★★★★★★★★★☆ 9
突破力 |★★★★★★★★★☆ 9
守備力 |★★★★★★★★☆☆ 8
創造性 |★★★★★★★★★☆ 9
メンタル |★★★★★★☆☆☆☆ 6
※ポテンシャル |★★★★★★★★★★ 10
伸びしろ |★★★★★★★★★☆ 9
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エデン・アザール
1991/1/7 ベルギー(代表キャップ36試合・5得点)
170cm 71kg
チェルシーFC所属
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リーグ・アンベストイレブン 2009-10, 2010-11
リーグ・アン年間最優秀選手賞 2010-11, 2011-12
ブラヴォー賞 2011
PFA年間ベストイレブン 2012-13
第十五回はエデン・アザールを紹介。
「既にブレイクし過ぎだろ」とのお叱りの声が聞こえてきそうだが、
それも甘んじて受けたいと思う。
そう、現代サッカーを語る上で、絶対に欠かせない選手なのだ。
有望な若手選手が台頭し続ける欧州サッカー界において、
ベガやシリウスのような一等星的輝きを持つのが彼アザールだ。
21歳で既にベルギー代表のエースであり、
所属したリーグ・アンのリール、
チェルシーどちらでも欠かすことの出来ない選手になっている。
アザールは4歳か5歳の頃に自然とサッカーを始めたと父ティエリは語る。
彼のキャリアは、
ベルギーのAFCデュビズというクラブの下部組織でスタートする。
歴史は浅いが、育成に関しては割と力を入れているクラブである。
しかし、育成した選手を留めておけず、
戦力を毎年維持するのが厳しいクラブだ。
実はアンデルレヒトのトレセンをずば抜けた成績で合格していたが、
彼は地元のこのクラブ(=デュビズ)を選択した。
アザールは14歳になると、
更に上のレベルで修行を積む為、単身フランスへ渡る。
リーグ・アンの名門リール・オランピック・スポルティング・クラブ・リール・メトロポールだ。
長い名前だが、日本ではリールといえばこのクラブだ。
フランスでは、個人の技術やスピードといった、
一芸に秀でた選手を高く評価し、
身長や体躯等のフィジカル的な問題を抱えても使ってもらえる。
アザールがフランスを選んだのは英断だった。
アザールは天才的なサッカーセンスでメキメキと頭角を現し、
2007年11月25日のASナンシー戦、
弱冠16歳でトップチームデビューを果たす。
その年は途中出場で4試合を経験する。
そこから一年、フィジカル的な課題克服の為トレーニングを積み、
翌2008-09シーズンに大活躍し、旋風を巻き起こす。
出場機会は大幅に増え、30試合に出場し4得点。
その年に、ベルギー人として初めてリーグ・アンの最優秀若手選手賞を受賞した。
2009-10シーズンも続けて最優秀若手選手賞を受賞し、
史上初の2度の戴冠となった。
フル稼働に近い37試合5得点。忘れないで欲しいのはこれで高校生なのだ。
その翌年は38試合7得点。歳を重ねるごとに成績は伸びていく。
クラブ側も日進月歩で成長するこの若者を育てるのが楽しくて仕方なかっただろう。
そして2011-2012、リールでの集大成とも言える、
「限界突破」のシーズンが訪れる。
学業から解き放たれ、サッカーのみに打ち込めるようになったアザールは、
まさに誰にも止められなくなった。
ほぼ全て試合でMOMの活躍で、ゴールもアシストも量産。
出場38試合にして、ゴール20、アシスト18。
繰り返すが、これがまだ10代の選手だ。
それまで長い沈黙を続け、
久しく優勝を掴めずにいたリールは、念願の栄光を手にし、
アザールは英雄となった。
そして、来るべくして来た。
彼がついに掴んだ3大リーグの舞台への挑戦切符が。
チェルシーFCからの熱烈なオファーだった。
20歳の選手に対し、移籍金の提示額・・・3200万ポンド!
日本円にして、実に40億円。
アブラモビッチオーナーになってから金銭感覚が狂ってしまっているサポーターですら、
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移籍直前まで、ロンドンの民衆は開いた口で議論を繰り返し、
その移籍に関して賛否両論の持論を展開し続けた。
しかし、シーズン開幕が近づくにつれ、
アザールへのそういった声は「期待」へと収束され、集約されていく。
開幕するや否や、
体の小ささを感じさせない、存在感の大きなプレーを見せつけたアザールに、
本場イングランドは度肝を抜かれる。
ダメな試合はとことん単調になるチェルシーの試合は、彼により激変した。
アザールにボールが渡ると何かが起きた。
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サポーターは彼のプレーに日に日に魅了されていった。
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アザールはボール処理にもたつくボールボーイを蹴る暴挙を働いて退場処分を受ける。
追加制裁は3試合の出場停止。
その間、メディアではアザールに対し激しいバッシングが繰り返され、
子供達にとって「夢」そのものだったアザールの名誉は急降下した。
そして復帰したスタンフォード・ブリッジでは、
アザールは生涯で初めて、 ホームのサポーターからブーイングを受けた。
アザールは深く反省し、精神的な未熟さを見つめなおした。
幼い息子ジャンニスを持つ1人の父親として、
あるいは真のフットボーラーとして、
この出来事が、結果的に、
アザールにとって精神的な弱さとも決別するきっかけとなった。
↑左側腹部(前鋸筋付近)のタトゥーは日本語カナでジャンニス。
ナターシャ夫人との間に生まれた愛息子の名だ。
海外では日本語のタトゥー(主に漢字)が「COOL」だとされ大人気だ。
-------------
アザールという選手の特長は、まさにその類まれなサッカーセンスだ。
攻撃に関しては、ドリブル、シュート、パス、その全てがパーフェクトで、
ダイナミズムに溢れた姿は、ピッチ上で存在感抜群だ。
ゴールパフォーマンスも人気で、
王道のガッツポーズながら、
精悍な顔つきと彼のカリスマ性からか、
その「画になるっぷり」はずば抜けている。
彼は幼い頃からジネディーヌ・ジダンに非常に強い憧れを抱いており、
「彼に認めて貰う為なら何でもやる」と言った言葉は決して嘘ではない。
実際、レアルの要職に籍を置くジダンも、
アザールの存在は常に意識するようになったと話している。
こういった言葉もアザールのモチベーションを更に燃え上がらせた。
ゆえに、大舞台になればなるほどアザールは輝きを増すのだ。
早熟ながら、更に成長を続けるアザールには、
もはや「末恐ろしい」という言葉が浮かんでは離れない。
このままいけば数年後のバロンドール、
というのも決して言い過ぎではないだろう。
少なくとも、チェルシーが支払った40億円を、
「高すぎだ」という声は数年後には完全に払拭されている筈だ。
--------------
そしてベルギーという国のA代表について、
第12回で紹介したマルアン・フェライニが背負う11番、
そして今回紹介したエデン・アザールが背負う10番、
この2人は是非ともチェックして頂きたい。
新鋭勢力の中では、間違いなく世界最強のコンビだろう。
2人の他にもベルギー代表には凄まじいポテンシャルを持った選手達がいる。
追って紹介することになるが、
彼ら一人一人の持っているものが素晴らしいだけに実に楽しみなナショナルチームだ。
■エデン・アザール
スピード |★★★★★★★★☆☆ 8
持久力 |★★★★★★★★★☆ 9
フィジカル |★★★★★★★★☆☆ 8
得点力 |★★★★★★★★★☆ 9
突破力 |★★★★★★★★★☆ 9
守備力 |★★★★★★★★☆☆ 8
創造性 |★★★★★★★★★☆ 9
メンタル |★★★★★★☆☆☆☆ 6
※ポテンシャル |★★★★★★★★★★ 10
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niceとコメントありがとうございます。
by ruy0810 (2013-05-14 15:38)
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< 2014 2 15 ニューヨーク タイムズ紙より引用>
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コメント
by お名前(必須) (2016-10-28 07:43)
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