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乾 貴士 ~世界屈指のドリブルモンスター~

第十回
乾 貴士(いぬい たかし)
1988/6/2 日本(代表キャップ9試合・0得点。滋賀県近江八幡市)
169cm 63kg
アイントラハト・フランクフルト所属
乾貴士.png

ご存知、日本が誇る天才。
爆発的な加速と、確かなドリブルテクニックが最大の魅力。
重心の低いドリブルから2人3人と細かいタッチで交わしていく生粋のドリブラーである。

今回はルーツを紐解くように乾貴士を紹介しよう。

学生期
乾貴士のそのルーツは滋賀県のセゾンFCにある。
この少年サッカークラブ、街クラブと侮るなかれ。
一芸を徹底的に伸ばす」この信念のもと、
とにかく選手の長所をひたすら伸ばす。
短所なんて知ったことかと言わんばかりに、秀でる部分を徹底的に。

そして滋賀県のセゾンFCは、乾にとってまさに地盤を固める最高の環境だった。
体が小さかった乾は、とにかくドリブル練習を積み、ひたすらにドリブル技術を磨いた。
そして同県の野洲高校に進学するのだった。

(ここからしばらく監督の話に寄り道しよう)
監督は「セクシーフットボール」で一躍話題になった山本佳司氏。
山本氏は、中学までサッカーをし、その後はレスリングの道へ。
日体大卒業後にレスリングの為にドイツのケルン体育大学に留学。
そこで、本場のサッカーの熱、レベルの高さに触れ、サッカーへの情熱が燃え上がった
日本に帰ってきてしばらくして同氏は教育者の道へ。
水口東高校を経て、1996年から野洲高校に赴任する。

世界のレベルの高さを肌で感じてきた山本氏は、
野洲高校で監督を務めるようになってから、
それまでの野洲の指導方法を一新した。

闇雲にメニューを組むのではなく、
「世界のプレー」をビデオで見せ
それを生徒達にイメージさせる事を第一とし、
そのイメージに自分達を重ねさせた。
そして細かい練習内容には口出しをせず、
生徒達自らに考えさせ自主性も育てていった

そして野洲高校の快進撃は始まっていく。
乾の1つ上の先輩、現ザスパ草津の大エース青木孝太や、
天皇杯キラーのセレッソ大阪楠神順平
京都サンガの内野貴志といった面々の才能を一気に引き出し、
彼らが3年に上がった時、既に野洲のサッカーは完成されていた

当時彼らがイメージしていたのは、紛れもなく「FCバルセロナ」のサッカーだった。
正確なパス交換を繰り返し、選手全員が流動的に動き、
ポゼッションを優位に保ちながら、好機に一気にスピードを上げて攻勢をかける。
まさに現代の世界のサッカーにおいて、最もモダンで強力な戦術だ。

----------
そんな中、待ち望んでいた、飛びきりの才能が加わる。
セゾンFCでも一緒にプレーしていた青木や楠神がよく知っている人物、乾貴士だ。
乾は入学当時からぶっちぎりの能力の高さを備えていた
特にその研磨されたドリブルは、
野洲高校にとって打開力という点で、まさに最高のスパイスとなった

乾は1年間山本監督の元で修練を重ね、
2年生に上がる頃には左ウイングでレギュラーを獲得。
更にチーム力の上がった野洲は、ついに地方大会で敵なしの状態に入る。

そして次の年の高校選手権にでも野洲高校の勢いは留まることはなかった。
東京の修徳を2-0、三重の四日市中央工を3-2、香川の高松商業を4-0を下し、
大阪の大阪朝鮮をPK戦の末勝利、
そして準決勝で山口の名門多々良学園を1-0で下して決勝戦に駒を進めた。

相手は強豪鹿児島実業。大方の予想は鹿実が勝つだろうと思われていた。
しかし・・・。


高校サッカー史上最も美しいとされるこのゴールが決勝点となり、
延長の末2-1で鹿実に勝利。初優勝を果たした。

そして乾貴士の名は一気に知れ渡り、
高校卒業と同時に乾は横浜Fマリノスへ、プロの道へ進む、。

プロの道へ Jリーグでの試練
しかし乾に待っていたのは挫折だった。
Fマリノスでは選手層に阻まれ、まともに出場機会を与えられず、
そして出場できた7試合でさえも、指示されるプレーは乾の持ち味を理解していないものだった。

乾は出場機会を求めて移籍を決意。
クラブも同意し2008年6月にレンタルで当時J2のセレッソ大阪に移った。

セレッソ大阪へ 移籍の英断
そこで彼の才能は一気に開花する。
セレッソ大阪には同世代の香川真司がいた。
味方を活かす天才、香川と乾の高い技術力が融合し化学反応を起こす。

まるで長年一緒にやってきたかのように、
そしてキャプテン翼の翼と岬が現実世界に具現化したかのように、
彼らは息のあったプレーを見せる。
その年はJ1昇格はならなかったが、乾は活躍を認められセレッソに完全移籍を果たす。

翌年、2人を擁するセレッソはJ2のレベルを遙かに凌駕したチームになっていた。
乾と香川のコンビネーションは最早シンクロレベルのものに完熟し、
蓋を開けてみれば(リーグ戦だけで)香川27点、乾20点
2人合わせて50点近くというとんでもない数字のゴールを叩きだしていた。
そしてセレッソはJ1昇格を果たす。


翌年2010年、J1昇格を果たしたセレッソでも乾はプレーする。
しかし乾自身開幕から数試合は本調子ではなかった。
しかし香川の活躍などもあり、チームは昇格組とは思えない勢いのままリーグ戦を戦っていた。

しかし、3ヶ月もしないうちに衝撃が走る。
香川がドイツのボルシア・ドルトムントへ移籍してしまうのである。
やっと復調してきた乾にとって相方を失ったのはショックだっただろう。
しかし、家長昭博清武弘嗣
そして海外助っ人選手のアドリアーノらの活躍もあり、
香川が抜けた穴を見事に埋めて見せ、クラブはJ1での最高順位3位でシーズンを終える。

次のシーズンも乾はセレッソにいた。
先に開幕していたドイツでは、香川が一大旋風を巻き起こし、前半戦のMVPに選ばれていた
香川の活躍を見て乾の意識は激変する。
-高校時代の恩師からもドイツでのサッカーの素晴らしさを聞いて知っていた。
-そしてその舞台で、自分の相方が活躍している。

日に日に海外への挑戦願望は抑えられなくなっていた。
まるで運命の赤い糸にでも導かれるように、乾はドイツへ移籍することとなる。
(代理人は高原・香川・長谷部といった日本人選手をドイツへ導くキューピット役トーマス・クロート氏)

海外移籍 2部で格の違いを見せつける
2011年8月、ドイツ2部のVflボーフムに移った乾は、瞬く間にレギュラーを獲得。
ポジションはトップ下が主として30試合に出場した。得点はチームトップの7得点
2部とは言え、レベルの高いドイツで乾のプレーは敵なしの状態だった。
キレキレのドリブルや、ピンポイントで展開されるパスで相手を翻弄し続けた。
だが乾以外の選手層が薄く、ボーフムは1部昇格を逃してしまう。

しかし海外というのは、スカウト陣がしっかりと選手を見ているものである。
次の年の夏市場直前、
アイントラハト・フランクフルトや、後に清武が加入するFCニュルンベルク
そして名門ヴェルダー・ブレーメンといったクラブが乾を本命として獲得に名乗り出る。
争奪戦の末、1部昇格組のフランクフルトが乾獲得レースに勝利。
移籍金1億5千万円でクラブ間合意に至った。
乾を約6千万円強で獲得したボーフムであったが、
2部であったにも関わらず、たった1年で
乾の市場価値は約2.5倍に跳ね上がったのだ。

フランクフルトへ 試される真価
2012年、2部を2位で昇格した1部へ返り咲いた古豪フランクフルトは、
若手の成長株を中心に、積極的な補強を行なっていた。
乾もその中の1人で、即戦力として期待された。

キャンプに入り、乾は改めてそのポテンシャルの高さを示したが、
アルミン・フェー監督は乾にフィジカル面ともう一つ弱点を指摘した。
「攻撃については注文はない。しかしタカシは守備意識を高めるべきだ」
人一倍努力家である乾は、この助言を真摯に受け止め、改善に励んだ。
走り込みを積み重ね、練習では僚友のマイヤーと最後まで居残り練習をする毎日を続けた。
(この居残り練習は、フランクフルトの恒例行事となっており、
 その練習を見に来るファンもいるほどになっている)
また、毎年オフに日本に帰ってくると、「練習の鬼」と呼ばれる乾は、
前所属クラブのセレッソの練習場に姿を見せる。
しかもセレッソの練習ユニフォームを着て(笑
その度に「謎の練習生がまた来た」と盛り上がるのである。
他の海外組も前所属クラブの練習場に現れる事はあるが、
ここまで恒例とされる選手は類を見ない。
セレッソサポからも温かく迎え入れられ、愛されている事がよく分かる。

そしてシーズン開幕、乾は得意の攻撃は勿論、守備意識も改善され、
ブンデスリーガ初挑戦とは思えない動きでチームを牽引する。
言葉はまだ片言だが、そのプレーは味方を勇気付けた。
王者ドルトムントと3-3で引き分けたり、
(争奪戦に参加していた)ニュンベルクやブレーメンに勝利するなど、
時折守備が崩壊するとは言え、チームはまずまずの成績を残している。
(5/8現在 32試合14勝7分11敗 勝ち点49で5位)

乾のプレーは一見ゴリ押しのエゴイズムの塊に見えるが、
弾き返されても何度も勇猛果敢に挑んでいく姿とは、
目の肥えたフランクフルトファンにも認められた
ため息が出てしまうようなミスキックも少なく、
インサイドではなくインステップで強力で正確なシュートを撃てる乾は、
まさに見ている者を魅了している。

フェー監督もその技術の高さには脱帽し、
足の甲のボールコントロールで、タカシの右に出る者はいない
とメディアに答えている。


12-13シーズンのプレー集。乾は間違いなくチームの心臓。 これだけイイパスを出したんだから味方もうちょっと決めてくれよ、と言いたくなる程。 ずば抜けた敏捷性とテクニック、そして創造性。A代表でもっともっと見たい選手だ。

日本代表での乾
そしてこういった活躍をアルベルト・ザッケローニ監督にも認められ、
乾は、それまで殆ど出場出来なかったA代表入りも果たす。

これからの日本代表に置いて、個人の打開力や味方との連携、
強化された守備意識と、攻守両立を実現させた強心臓、
そして特に香川との相性の良さ等は日本の大きな武器になるのは間違いない。

是非、乾が国際舞台で大活躍する姿を見たいものである。
持てる力を出せられれば、
ドイツだけでなく世界中でTAKASHI INUIの名前がブレイクする日も遠くないだろう。

■乾 貴士
スピード    |★★★★★★★★★☆ 9
持久力     |★★★★★★★★★☆ 9
フィジカル   |★★★★★★★☆☆☆ 7
得点力     |★★★★★★★★☆☆ 8
突破力     |★★★★★★★★★☆ 9
守備力     |★★★★★☆☆☆☆☆ 5
メンタル     |★★★★★★★★★☆ 9
ポテンシャル|★★★★★★★★★☆ 9
伸びしろ    |★★★★★★★★☆☆ 8

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コメント 2

名無しの乾ヲタ

乾は青木・楠神らの1こ下です。
2こ下なら清武と同い年になるので、ロンドン五輪出れてたね。

で、1年の時は全くレギュラーになれず、
本人はひたすら練習しまくってたと去年末のアスリートの輝石で
紹介されてましたね。
高校選手権優勝時は乾は2年です。

さらに、香川が抜けた後のセレッソで活躍してたのは
柿谷ではなく家長ですね。
家長・清武はJ1昇格時に大分からセレッソへ入団(家長はガンバからのレンタル)
J1開幕当初は清武が怪我してたこともあり、香川・家長・乾の
3シャドーで戦っていて、香川が抜けた後に清武・家長・乾の3シャドー。
柿谷はJ2時に遅刻常習犯など練習態度に問題があり、
クルピに徳島へ修行に出されてます。
セレッソに戻ってきたのは乾も家長もいなくなった去年からですね。

争奪戦の末、フランクフルトってのも、ニュルンやブレーメンも
噂はあがってましたけど、ニュルンは清武取ったので乾には正式オファーなし。
ブレーメンも正式オファーなしで、実質フランクフルトからしかオファーなしです。

ニワカ丸分かりなんで、もう少しちゃんと調べたほうがいいですよ。
by 名無しの乾ヲタ (2013-05-08 13:19) 

powell

>名無しの乾ヲタ 様
初コメントありがとうございます!
貴重な助言、とてもありがたいです。
ご指摘の部分は、訂正させて頂きました。

争奪戦、については、加筆するともう少し複雑な事情がありましたので、
この表現でも間違いではない為、そのままにしておきます。
実は正式オファーの前の段階から代理人とクラブの間には水面下で色々あったり致します。

こういったお詳しい方のコメントや熱いメッセージはとても励みになります。
よほど悪質な荒らし行為以外でしたら、心から歓迎していますので、
是非今後も叱咤激励頂けたら嬉しく思います。
今後共フトラバに遊びに来て下さいね!
by powell (2013-05-08 21:21) 

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